東洋人文哲学の抽象思想と西洋の数理哲学の形象思想は、人類の東半球と西半球でほとんど隔絶された状況にあり、独自に創立した思想方法で、どちらが良い悪いの問題は無く、各々優越性と限局性があります。
西洋の数理哲学の形象思想が人類に対して貢献したのは誰の目にも明らかで、現在、私たちが有する科学技術のほとんどが数理哲学の形象思想の産物であり、人類の現代物質文明の全てが西洋の数理哲学が礎になっていると言っても過言ではなく、現代の工業、運輸、水上交通、航空、通信、宇宙産業、バイオテクノロジー、天文、地質など全て数理哲学の優れている分野です。しかし、人類が新しい物質文明に向かい前進するに当たり、数理哲学は明らかに「意余って力足らず」なのです。例えば、人の感情、情緒に対して形象を分析する定量的な研究を行うことは解決できない問題で、人体の生命科学の研究に対しても数理哲学の方法を用いて研究することは難しく、宇宙の巨視的な把握や総体的な認識も力を発揮できないのです。要するに、世界中でいかなる一つの異常で複雑な物事が要求する確かな認識は、数理哲学で解決できるものではないのです。一つ簡単な例を挙げてこの問題を説明できます。深夜、妻が仕事から帰り門を叩き「門を開けて」と叫び、夫は寝ぼけまなこで意識もぼんやりした中で声を聞き、すぐ妻が帰ってきたと判断し、泥棒や他人と疑わずにすぐ門を開けます。もし数理哲学の方法を用いて妻か別の人かを判断するならば、数十万の数に基づいても最後の結論を出すのは難しいです。例えば、彼女の眼を世界中であらゆる特徴を区別するよう測定する時、彼女の鼻、唇、耳、頭、顔形、支体のあらゆる面を世界中の人と区別するには、膨大な作業工程が必要で、最終的に正確な結果を出すのも難しいです。夫は数秒以内で正確な判断が出来、これは完全に抽象思想の方法なのです。
現代の著名な西洋学者達は科学の行方や医学の行方について飽きずに議論するのはなぜでしょうか。そして彼らは深い思考と鋭い洞察力から東洋哲学の抽象的な考え方に頼らなければ発展できないことを認識してきたので、二十世紀は東洋人の世紀だという結論にたどり着きました。
抽象的思想は物事の本質を巨視的かつ全体的に把握することができ、その点では形象思想では到達できない深さと高さに到達することができますが、形象思想のように物事の具体的で細かい特徴や属性を把握することはできません。したがって、物事の全体像を把握する場合、抽象的な思想だけで把握することは困難です。
人類がより高い段階に進もうとするなら、形象思想と抽象的思想方法の限局性を克服する必要があります。両者の長所を組み合わせて統一的な思想モデルにして、再構築すれば、人類社会をより良い段階へ導くことが可能です。針刀医学は2つの考え方の長所を組み合わせ、東洋医学と西洋医学の既存の成果の認識を刷新、整合し、人体の生理、病理、診断、治療法を再構築して、医学を時代のニーズに合わせた高いレベルの医療大系に向かわせます。
参考文献:朱汉章,针刀医学原理,人民卫生出版社:2002